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「対決!現代短歌の前線Ⅱ」第5回“ネット系 vs 結社系”にいってきました(現代歌人協会公開講座)

★☆★ 賭けマージャンプラスティックの夢たちを混ぜて並べて僕らのものに (岡本雅哉)―“単語帳みたいな短歌集”「Schoolgirl Trips」より抜粋★☆★作品の詳細については(→コチラ)★☆★

【追記】10/29 ★加藤千恵さんの発言を追加しました。
【追記】11/1 ★★事実誤認のあった箇所を訂正しました。


……あっというまに一か月か。


さて、去る9月15日水曜日、
枡野浩一短歌塾」のみんなと連れ立って、
現代歌人協会公開講座「対決!現代短歌の前線2」第5回“ネット系 vs 結社系”」(→コチラ)を
聴講してきました。

短歌塾で同期の山口ヤスヨさんがカルチャースクールで教わっている、
松平盟子さんが企画監修をされているということで、
予約は特にしなくても、少し前に学士会館に行けば
参加可能だということでした。

が。

案の定到着がギリギリに。

はじめて行く学士会館の入り口でオロオロしていると、
ワンピースにスニーカーで全力で駆けてくる女性が。

石川美南さんでした!
まさに渡りに船と、すかさず声を掛けてあとについて走っていくと、
廊下で笹公人さんをお見かけしてご挨拶。
そして席に着いて石川さんの隣を見れば短歌人の生沼義朗さんが。

“ネット系 vs 結社系”のくくりはさておき、
パネリストに、枡野浩一さん加藤千恵さん(以上ネット系)
加藤治郎さん花山周子さん(以上結社系)を迎え、
穂村弘さんが仕切るというめったに見られないラインナップ。
この講座の注目度が伺われました。

受付でレジュメを受け取ると、
本日の演者の4人のプロフィールと、
それぞれが選んだ短歌5首が掲載されていました。
(なぜか枡野さんのみ12首も(笑)!)

それでは、今回の公開講座に参加して、
いつくか考えたことを書いていきたいと思います。

【おことわり】

なお、本エントリーはレジュメに書き込んだ僕のメモを元にしており、
実際の内容とは異なる場合がありますので、ご容赦願います。

また、講座中に紹介された短歌については、
出典を明記して引用させていただいております。

もし、不適切な部分にご指摘をいただいた場合には、
速やかに訂正させていただきたいと思います。

一部内容については本多響乃さんのメモを参考にさせていただきました。
どうもありがとうございました。

*

■口語と文語

穂村さんが、

歌壇に於ける短歌の特徴として、 「自分の言いたいこと」よりも「短歌としての型」が優先される
ということをおっしゃられていました。

たしかに考えてみると、
「文語」の使い方や、短歌の「型」の構築には、
やはりそれなりの修練が必要とされるため、
師匠の方が圧倒的に、弟子に比べて秀でています。

だから、「結社」というシステムがばちっとハマる、
というところはあると思いました。

また、穂村さんは、

歌壇の短歌は、歌としての姿を優先させる。 それは、「自分のいいたいこと」よりも重要とされる。

とおっしゃっていて、例として挙げられた、

【短歌の添削】においては、

文語の場合だと、

「まるでわたしの歌じゃないみたい♪」

と喜ばれるが、

「自分の言いたいこと」をストレートに詠う、
口語短歌の場合には、添削された側は、

「こんなのわたしの歌じゃない……」

とショックを受ける。

との発言には、思わずうなずいてしまいました。

投稿から、結社に活動の場を移した方が、
まさに同じリアクションをしていたのを思い出し、
やはり口語短歌を詠む人だったので、すごく納得したのです。

ただ結社の中には、
添削されずに投稿歌がそのまま掲載されたり、
選歌さえないものもあると聞いているので、
すべてがそういうわけではないと思いますが。

僕の場合も、もっぱら口語短歌を詠んでいますが、
おそらく添削されたら違和感を覚えるでしょうね。

口語の場合だと、あまり派手に添削されると、
「なんか自分が言いたいことから離れてるな……」
と思うだろうし、あまり直されなかったら、
「これなら自分でも直せたな……」
と思ってしまうと思います。


■「ビジネスモデル」としての選者

また、

歌人として生計を立てる「ビジネスモデル」として、 「選者」がある

という加藤治郎さんのご意見も心に残りました。

「選者」の「市場」は、短歌を“読む”人ではなく、短歌を“詠む”人であり、 そのニーズにいかに応えるかということが求められる。

しかし、それには弊害もあって、

「選者」になることにより、「選者」になる以前、 若い頃に持っていた、本を出したい、 有名になりたい、歌人として認められたい等の、 作家として自然な、純粋な欲求がすり減ってくる。

と多少自虐的に話されていて、

「若い人にはそういった純粋な欲求を忘れないようにしてほしい」

と繰り返し呼びかけられていましたが、
それについても考えさせられました。

たしかに、小説やマンガなどに比べて、
短歌は圧倒的に「詠む」のを楽しむ(自分もそうですが)
文学だとは思いますので、
「詠む」人のニーズに応えるのは大事だと思います。
また、「選者」のお仕事の大変さについても、
各所で聞くところではあります。

ただし、短歌を投稿する側の意見としては、
やはり「選者」はいつまでも、
自分にとって“いい短歌”を詠む存在であって欲しいですし、
「選者」の“現役感”って大事なんじゃないかな、と思いました。

でも、こうやって何度も口に出すことによって、
自らを奮い立たせているのかもしれません……。

なんたって、名古屋からわざわざ九州に足を運んで、
笹井宏之さんを口説いた
バイタリティーの人ですからね。


■教育機関とヒエラルキー

それから、講座の冒頭に、穂村さんが読みあげられた、
岩波現代歌人辞典(1999年刊行)から引かれた「結社」の定義、

(略)選歌制度を中心におく教育機関としての役割は疑う余地はない。 だが同時に、主宰を頂点としたヒエラルキー的なシステムが、 結社に集う人々の文学的な自由を拘束してきた弊害も否めない。

に関して思ったこと。

今回「ネット系」で出演された、
枡野塾長も世界初の短歌投稿ブログ「枡野浩一のかんたん短歌blog」をはじめとして多数の企画で、
また加藤千恵さんも、webサイト「かとちえの短歌教室」などで
短歌の募集・選・講評をされていたので、
結社での責任を果たすのとは別の意味で、
「教育機関」としての役割は担っているのではないかと思いましたし、
「ネット系」のお二人は、そういった場を、
結社というあらかじめ見込めるニーズによらず
その都度立ちあげているという点は、
見逃せないと思います。

ただ、「結社」の場合には“ヒエラルキー”、
かんたんに言うと上下関係によって、
“文学的な自由を拘束してきた弊害”
があるということなんですが、
そういうはっきりした上下関係がない「ネット」の世界に
活動の中心を置いたというところから、
枡野塾長はあらゆる「ネット」短歌の負の一面を
背負わざるを得なくなってしまったところもあるのかな、
なんて思いました。

かんたん短歌の作り方」やウェブサイト(→コチラ)で提唱されている、
「かんたん短歌」の理念をまったく踏まえない、
「口語」短歌が「ネット」上にあふれて、
「マスノ短歌」と揶揄されてしまったり
(一部の口語短歌を詠むネット歌人にとっては
「かんたん短歌」の理念がかえって“自由を阻害する”
ルールみたいに受け取られてしまったり)、
本来は「かんたん短歌blog」投稿用であった、
“#kantantanka”のTwitterタグが
その意味を離れて独り歩きしていたり、
そういったことも結社のような枠組みの中であれば、
起こりにくかったのではないでしょうか。


■誰に認められるか

加藤治郎さんが短歌を作る上で、

「岡井隆」、「塚本邦雄」、「春日井建」の 三人に認められるということが、 大勢の人から認められることよりも大切だった

という意見に対して、
かとちえさんが、

それはネットを通じて枡野さんのブログとかに投稿する人も同じなのでは?

と枡野さんにふったのですが、

枡野浩一じゃなきゃだめってわけじゃなく、笹公人さんのところでもいいし、 穂村弘さんに採用されたらもっとうれしい、みたいな感覚がある。 “自分の歌を選んでもらった歌人”イコールいい歌人だと思ってしまう傾向がある

と枡野さんはおっしゃっていたんですが。

自分に当てはめて考えてみました。

そもそも、自分が短歌を詠みはじめたきっかけは、
「真鍋かをり」さんでした。

当時、彼女が深夜のおふざけ番組で、
お笑い芸人にけしかけられて、
ほんとうに嫌そうに、ミニスカポリスみたいな格好で、
泣きそうな顔をして三輪車をこぐ姿がかわいそうで、
どんな人なんだろうと「真鍋か“お”り」でYahoo!ったら、
枡野塾長との対談ページにたどり着いたのです。

そして、そこから「かんたん短歌blog」に流れて、
おおっ、おもしろい!これなら自分もできるかも、
と投稿した「ドラえもん短歌」がいきなり採用され、
僕の短歌ライフが始まりました。

僕は小学校のころ、有名な牧水の歌、

・白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

に対して、
「白鳥が飛んでいるのは生きるため。
自分の悲しみを白鳥にのせるのは作者の勝手だと思う」
といってのけた歌心カケラもないKU☆SO☆GA☆KIでした。

だから、僕にとっては“短歌=かんたん短歌”だったし、
実は枡野塾長の短歌すら知らずに投稿してました!
塾長は“ことばを教えてくれた先生”のような存在でした。

ところが、
「かんたん短歌blog」が2006.06.30に休止に入ります。
まだ“ことば”をうまく使えていないのに、“先生”がいなくなっちゃった。

口語短歌を投稿できる場所を求めてさ迷いました……。

最初は、褒めてもらうのがうれしくて片っぱしから投稿しましたが……
……採った採られただけやってると、疲弊してくるんですよ。

それで自然と投稿する場所も絞られていきました、
いまは自分の好きな短歌を詠む歌人のところに限って投稿しています。

枡野塾長のいう、

“自分の歌を選んでもらった歌人”イコールいい歌人だと思ってしまう傾向

って確かにあるとは思いますが、
こういう人は、短歌をはじめたばかりの場合が多いのではないかと思います。
はじめたばかりの人は、エネルギーいっぱいで、怖いものしらずで、
バンバン投稿するから目立つと思うし。

ただ、枡野塾長が復活すると、同時に復活して詠みだす人も見かけます。

枡野浩一じゃなきゃだめ

って人、いますよー。


■歌壇的な短歌

講座中に交わされた、「歌壇的な短歌」についての、
各演者の意見を抜粋してみます。

穂村さん

歌壇的な歌っていうのは、
文語やメタファーを駆使して、いろんな感情などを折りたたんで、
折りたたんだ形のままで、読者に伝えるもの。
それを読者側で、受け取ったあと、あらためて広げてから鑑賞する、
という感受性が求められる。
※注「穂村さんの『圧縮』と『解凍』論ですね」by本多響乃
そういったいくつものハードルを含んだ歌が、
1冊の歌集にはだいたい300首くらい詰まっていて、
それが歌壇的な「適切な情報量」とされている。

対して枡野さん

それはまるで、「カルピスを原液のまま飲む」みたいなことですよね。
わたしは、おいしいカルピスウォーターをきちんとつくりたい。

治郎さん

シンプルでなく、何かを踏まえたり、本歌取りをしたり、
複雑な何かをもっている歌が、結社系といえるのでは。

周子さん

わたしの場合、最初から文語は使えた。
母親(歌人・花山多佳子さん)の影響というよりは、唱歌から。
今のほうがマニアックなもの(=文語)に手を出しはじめているが、
伝統といったものは、あまり意識していなくて、
結社とネット、というのは場の違いということだと思う。
わたしが結社誌に出す短歌というのは、
結社の人たちを思い浮かべながら、ということがある。
※周子さんは、歌人が結社内の人宛てに詠んだ五首をレジュメに採り上げた


ここで、加藤治郎さんが“典型的な結社歌人の歌”
としてレジュメに引かれた黒瀬珂瀾さんの短歌を見てみます。

・朝に飲む東京の水臭ふとき悲しみは噴きいづる蜻蛉(本阿弥書店刊『空庭』より)

治郎さん

この歌には「踏まえているもの」がとても多く、
それを読者の側が読み解けるかどうかが、鑑賞のポイント。

この歌の「踏まえているもの」の例として、
加藤治郎さんが挙げていたのが、

(1)黒瀬さんの師である、春日井建さんに対する挽歌/ (2)地理的なへだたり(黒瀬さん=東京、春日井さん=名古屋)/ (3)美意識としてのへだたり(東京=水臭ふ(汚い)、名古屋=美しい)/ (4)下の句の非常に美しい比喩/ (5)前衛短歌的な「句またがり」の技法

ということだったのですが、
続いて表明されたご意見に関して考えてみました。

一首としての完成度がとても高い。 逆にいえば、この完成度の高さが、どんどん読者を限定してゆくところでもある。 そもそものこの歌のモチーフは、<師への思いを最高限度まで美しく伝える>ということで、 “「歌壇という場を踏まえる意識の高さ=一般読者へのハードルの高さ”となる。 この歌については一般読者ははじめから想定外とされて、 さらには、それでぜんぜん構わない……と作者は思っている。

さて、一般読者ははじめから想定外、なのかな……?
そうでもないのでは?

「踏まえているもの」、(1)~(5)について、
二種類に分類して考えてみます。

(1)の、師・春日井建さんに対する挽歌
(2)の、地理的なへだたり(東京⇔名古屋)がある

その2点については、“お二人の関係性”を知らないと分かりえず、
歌壇にいる人でないと超えられないハードルだと思います。

しかしそれは、

【その歌をより深く味わう要素】

で、必ずしも知らなくてはいけない、
というわけではないのではないかと思います。

そういう要素は、“ネット系”の短歌にもあって、
たとえば「かんたん短歌blog」の企画で「真鍋かをりさんのお気に入り」に選ばれ、
世界初(にして最後?)のトラックバックを受けたこの一首、

・セクシーに「京都府警」のプリントT 着こなしそうだ眞鍋かをりは(PDP/現・宇津つよし)

に於ける、「京都府警」

「京都府警」の生活安全部ハイテク犯罪対策室は、
通称「京都府警サイバーポリス」と呼ばれ、
ファイル共有ソフト「Winny」の作者を日本で初めて逮捕するなど、
ネット犯罪、知的財産関連の検挙が多いことで有名です。

そのことを踏まえてこの歌を読むと、ネット上で大人気を博し、
「ブログの女王」の称号を欲しいままにした真鍋かをりさんらしさが加味され、
単なるセクシータレントではない側面を感じられるのではないでしょうか。

それから、「短歌研究新人賞」という、歌壇で権威ある賞を受賞した、
吉田竜宇さんの連作「ロックン・エンド・ロール」は、

自慰のあとのかしこさのまま死ねればと思うのでこれから準備をします(短歌研究社刊「短歌研究2010年09月号」より)

という一首で始まっていて、
2ちゃんねる等ネットに慣れ親しんでいる人なら、
「テラワロスww賢者タイムかよ!」と突っ込みを入れること請け合いです。

この場合は、歌壇での権威ある賞への応募作に、
選考委員がおそらく知らないであろうエッセンスを入れる点に、
ある意味確信犯ぽい印象を受けてしまいがちですが、
(受賞の言葉とか読んでしまうと余計に)
作者が大学生であるバックグラウンドを考えると、
やっぱりネットカルチャーに親しんでいるだろうし、
きわめて自然な表現なのかな、と思います。

すみません、寄り道しました。

さて、残る(3)~(5)に関しては、

【この歌を味わうための共通認識】

と思いました。

(3)については、
黒瀬さんと春日井さんの関係性をくわしく知らない人には、
東京と名古屋の対比するイメージの想起は
難しいと思いますが、
東京の水がふと臭う→五感(この場合嗅覚)を刺激されること、
それをきっかけにして、悲しみが噴き出してくる、
これは共感できる感覚だと思いますので、ハードルは高くない。

(5)の、前衛短歌的な「句またがり」の技法も、

☆悲しみは噴き(7音)/いづる蜻蛉(7音) の部分

いまではふつうに見られる手法だと思いますし、
そもそも短歌に詳しくない人は、
気にもとめないのではないかと思うので、
ハードルは低い。


しかしです……。

(4)の、下の句の比喩ですが、
枡野さんが次のように言っていました。

最後の漢字(=蜻蛉)、これを『セイレイ』って読む、 なんのためらいもなく『セイレイ』って読むもんだっていうのがすごい。

そう、「蜻蛉」は僕も読めませんでした!
ググッても、トップの項目はWikipediaの「トンボ」ですww

歌壇の方はみなさん、読めるのでしょうか……すごい。

そういう点から考えると、この黒瀬さんの歌は、

【その歌をより深く味わう要素】を多数含み、
それなくしてもある程度は読むことができるが、

【この歌を味わうための共通認識】
のうち、文語を使用しているその一点において、
高いハードルを持つ。

という印象になりました。


ここで冒頭の治郎さんのご意見を改めて引用しますが、

一首としての完成度がとても高い。 逆にいえば、この完成度の高さが、どんどん読者を限定してゆくところでもある。 そもそものこの歌のモチーフは、<師への思いを最高限度まで美しく伝える>ということで、 “「歌壇という場を踏まえる意識の高さ=一般読者へのハードルの高さ”となる。 この歌については一般読者ははじめから想定外とされて、 さらには、それでぜんぜん構わない……と作者は思っている。

一般読者が“想定外”とされているかという点については、
ご本人の思いもあると思いますが、
ふだん使わない文語を取り入れているという点で、
やはりハードルが高い歌であることは確かなのではないでしょうか。

でも僕も『蜻蛉』のハードルさえ超えれば、
すごく味わえる歌だと思ったので、
やはりそういうハードルを超える手を差し伸べるのが、
「結社」の役割りのひとつなのかもしれませんね。


*

そして、やっぱりこの講座の《ハイライト》はこの場面だったと思います。


★★事実誤認がありましたので、訂正しました。


かとちえさんのご発言、

短歌とのかかわり方として、結社に所属している方は、 短歌を趣味としてやっておられる方が多いと思う。 しかし私は生計を立てる手段として、「小説」や「短歌」を書いているが、 短歌を好きなのかどうか分からなくなるときがある。

のうち、“趣味”という言葉を耳にしたとたん、周子さんの表情が変わりました。
かとちえさんは、「プロ」という立場にも、
マイナスの部分があるという点を挙げてはいましたが……。

(そして上記加藤治郎さんの「選者」の話を挟みつつ)

かとちえさん、

もっと「短歌で食べていく人」がいればいいと思う。 短歌で生計を立てる歌人、職業としての歌人がいないと思う むしろ、結社にいる方たちは、そういうのが嫌なのかなと思う。

と希望を述べたのに対し、加藤治郎さん、

作家も印税でやっていけるのはせいぜい売上ベスト30くらいの人。 作詞家だとベスト5くらいまで。 たとえば短歌をつくる人が100万人いたとして、 「ベスト20」を目指せ、というのは非現実的。
作詞家をやっていたとき、なにより自作がボツになるのが悲しかった。 だから短歌で自分の表現ができてそれが100人であれ、 1000人であれ、読者に届けば満足。

と、オトナの意見。そして穂村さんが周子さんに話をふると……。

「さきほど加藤千恵さんが、趣味の話をされましたが、 『趣味』とは言われたくないです」

その真剣なまなざしに、すかさずフォローするかとちえさん。

「すみません、趣味ではなくて生き方とか/

かぶせて枡野さん、

「趣味でも真剣にやっている人はいると/

さえぎって周子さん、

「『趣味』って言葉が好きではないんです!私の場合!」


……場内静寂。


しばし間が空いたあと、周子さんが話しはじめます……。

「子供のころ、クラス全員にいじめられていて、どうすれば、何をすれば クラスのみんなに認めてもらえるだろうって考えた。 そして芸術家になれば、みんなに認めてもらえるじゃないかと思ったが、 結局みんな芸術なんかに興味はなかった。 それがようやくわかったので、わたしはわたしで、一生懸命やっていくしかないと思った。」
そういう姿勢で打ち込んできたものが、短歌だったのか。

周子さん、

「短歌に対しては、純粋に、いい作品を作っていきたい気持ちが強いし、 お金がからんでしまうと、作れないということもある。」

そしてここから、話は意外な展開に……。


穂村さん「花山さんには、具体的な目標になるような人はいないの?」

(周子さん、突如としてうろたえる)

周子さん「えーっ!いやぁ……それはちょっと恥ずかしいのでー(赤照赤)」

(いぢわるほむほむ)

穂村さん「そう言われると知りたいなあ……」

……場内に高まる期待感(聴衆の耳すべてダンボ化)!

(周子さん、意を決して)

周子さん「えーとぉーっ。……ベートーヴェンです……/

……( ̄△ ̄;)エッ・・?

周子さん「あ……でも!『運命』の方ではなくて、ピアノ曲の方のベートーヴェンです」

( ゚д゚)ポカーン
( ゚д゚)ポカーン( ゚д゚)ポカーン
( ゚д゚)ポカーン(・∀・)イイ!!( ゚д゚)ポカーン
( ゚д゚)ポカーン(・∀・)イイ!!(・∀・)イイ!!( ゚д゚)ポカーン!
(・∀・)イイ!!(・∀・)イイネ!!(゚▽゚*)ニパッ!(・∀・)イイネ!!(・∀・)イイ!!
( ^,_ゝ^) ニコッ(゚▽゚*)ニパッ!( ^,_ゝ^) ニコッ(゚▽゚*)ニパッ!( ^,_ゝ^) ニコッ

……満場、笑顔、笑顔、いい笑顔。

なるほどそれで合点がいきました!

「趣味」ではベートーヴェンは目指さないもんね


★加藤千恵さんが最後にされたご発言を紹介し忘れてました。

誤解されたままだと不本意なので言わせてもらいます。 花山さんが「趣味として」といったわたしの発言に関して、 「『趣味』だといわれたくない」ということをおっしゃったんですが、 わたしは趣味だから、手を抜いているとか、 そういう意味でいったわけではないんです。 真剣にやっている方もたくさんいらっしゃる。
逆に、(短歌で生計を立てる)わたしの立場に対して、 「芸術を利用して、商業的な活動につかうなんて」、 という意見なんかもあったりします。
でも、短歌に対する愛っていうのは、 (その立場がどうであれ、例えば)ツイッターでつぶやいている人にも、 その瞬間の真剣な思いっていうのは、絶対にあるはずなんですね。


(余談)

花山周子さんのお母さんは、歌人・花山多佳子さんですが、
講座中に話されていた「いじめ」の話について、
先日、松村正直さんがブログに書いておられたのを発見いたしました。

いじめられに行く(その1)@やさしい鮫日記
http://blogs.dion.ne.jp/matsutanka/archives/9707252.html

いじめられた本人にしたら、これ短歌に詠まれたら、怒るわー。
でも親としての気持ちも、わかるなあ。

対して、多佳子さんのことを周子さんが詠んだ歌については、
黒田英雄さんがブログで採り上げられていました。

№1184 第54回角川短歌新人賞と、花山周子@黒田英雄の安輝素日記
http://hideo.269g.net/article/13676307.html

……笑ったー!多佳子さん、憎めないなあ……。

親子で短歌やる方は、歌壇には多いらしく、
加藤治郎さんのお母さんも歌人だというのは今回初めて知りました。
「ちなみに、加藤千恵さんは加藤治郎さんの娘さんではありません」
by枡野さん(笑)。

*

さて、とりとめのない話を長々と書いてきましたが、
今回の講座を聴講して思ったことは、
“ネット系”、“結社系”っていうのは、
その時その時の自分の選びとった結果の積み重ねで、
その立場の中で、一歩づつ前進していくほかないのだな、
ということですね。

奇しくも、講座当日にサインしていただいた、
かとちえさんの新刊「誕生日のできごと」も、
そういうテーマを描いた小説でした。

かとちえさんのプロ歌人デビューの経緯を伺っても、
枡野さんの掲示板に書き込んだ歌が、
いろんな作家・詩人のあいだで話題になって、
みんなの後押しで……なんてマネできない。

だけど、そのかとちえさんでも、
「結社」に入ろうと思ったことがあったそうで、
しかもそれを阻止したのが枡野さんで、
「その代わりに谷川俊太郎さんに会わせてあげるから」
というよくわからない交換条件を提示したわりに、
そのことを枡野さん自身が忘れていたという……。
(当然、約束不履行だそうです……)

もし、かとちえさんが「結社」に入っていたら、
今みたいな活動はしていなかっただろうと思うし、
やはりその時その時できることの中で、
何を選択して、そこに責任を持ってやっていくかは、
人それぞれ違うと思うので……。

結論、自分なりにがんばる。
(なんか、のっちっぽいな)

まあ、この講座については、
書いても書いても書ききれませんので、
このあたりにしておきます。

*

講座の後、石川美南さんにご紹介いただき、
来場されていた黒瀬珂瀾さんに、
先日のブログ記事の件をおわびしました。
チェックのボタンダウンシャツをまとった好青年は、
爽やかに笑って許してくれました。ありがとうございます。
でも、僕は想像したのより年上だったそうです。
おっさんですいませんでした!

そして会議室から階段を降りると、
確認できた限りですが、田中槐さん東直子さんの姿も。

あらまあ、豪華。

その後、「枡野浩一かんたん短歌blog」界隈、
「枡野浩一短歌塾」のみなさんとのオフ会。

枡野浩一塾長について、短歌について、
歌集について、新人賞について、
仕事について、セクハラについて、
などなど、いろんな話をしましたよ。

それについては、ないしょで。

いやあ、短歌って……ホントに……◯◯◯◯◯ですね(笑)!
(みんなで好きなことばを入れてみよう)

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コメント

日頃まともに短歌の勉強をしないぶん、大変参考になるレポートでした。
いろいろと感じたものはありますが、一つだけ。

>僕は小学校のころ、有名な牧水の歌、

・白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

に対して、
「白鳥が飛んでいるのは生きるため。
自分の悲しみを白鳥にのせるのは作者の勝手だと思う」
といってのけた歌心カケラもないKU☆SO☆GA☆KIでした。


歌の背景として、青空と海が眼前に広がるなか(以下略)という思いなのはわかっていますし、事実学校ではそう教えられます。
しかし同時に、岡本さんのような考えもできていないと歌詠みとしては死に体だとも思うのです。歌の詠み方の問題ではなく。
話のポイントがすり替わっているのは自分でもわかっていますが。

そして自分は、昔から定石どおりにしかこの歌を解釈できませんでした←

投稿: 星輪 | 2010年10月28日 (木) 18時21分

こんばんはぁ。お久しぶりです^^

記事を興味深く拝読させていただきました。
そんでもって、むつかしいことをあれやこれやと議論する場があるのだなぁと感心しました。

私はまだまだ未熟者で、結社のもつ意味ということを語るほどにはないのですが、今の段階で思うことは、結社に所属するしないということには関係なく、「歌」というものが詠む人と読む人の間を結ぶ心の架け橋になっているのではないかと考えています。
だから、そのスタイルが口語であれ文語であれ、結ばれたというお互いの感覚を得ることによって、歌はひとりだけのものではなくなるのだと考えます。

又、作者名は私にとってはほとんど関係なく、それは絵でも音楽でもそうなのですが、その作品が良いと思えば良いと思っています。
それから選者による添削は私にとって、凄くありがたいことです^^何故なら、微妙な古典的表現の間違いを正しいものにしてくださり、それは世に出る前にこっそりと訂正してくださり、訂正されたことが私にしかわからず、教えてくださっている場合がよくあるからです。

上手く言えませんが、結社歌人というくくりで、趣味と言われることには私でさえ侵害された気がします。

結社では、所属する人達の毎月の歌を読みます。
ですから、歌を通して個々の歌人の日常を知ることになります。
単に歌の良さだけではなく作者の日々に触れることになります。
決して形式ばった美しい歌ばかりではありません。

あえて結社に所属する、しないの違いを言うとしたら、そこの違いではないかと未熟者ながら思います。

最後に、私の好きな歌は好きな歌^^
その歌の作者が誰であろうと、好きでまたスタイルが文語でも口語でも好きなものは好きです^^
結社に属していようといまいと変わりはないと思っています。

て、なんだかえらそーに語っちゃいましたね^^
どうかさらりと聞き流してやっておくんなさいまし^^
そんなことより、久しぶりに更新されていて、岡本さんがお元気そうで、何よりです^^

投稿: 西野明日香 | 2010年10月28日 (木) 22時57分

再び失礼します(汗)
またまた変な日本語を書き込んでしまいましたね。私(泣)

>私でさえ侵害された気がします。
を、憤りを感じます。という言葉に変えさせてください(滝汗)

にしてもコメントながっ。 ゴメンナサイ。

投稿: 西野明日香 | 2010年10月29日 (金) 02時43分

星輪くん、おはようございます!

さっそくのコメント、ありがとうございます!

あーでも、牧水の短歌への感想は、
「なんでも反対したい」っていう中二病(発病は少々早まりましたが)だから、気にしないで下さい!そんな自分が短歌をやるきっかけを作った枡野さんはすごいな、って文脈の話なので!

僕も今は比喩とか使ってるから……でも、あの頃の尖ったところも、すり減らしちゃだめだよね、やっぱり。


西野さん、おはようございます!

西野さんの怒りに満ちた表情が思い浮かんできました……あなたもまっすぐなひとだから!

西野さんのコメントを読んで、かとちえさんのコメントを思い出して追加しました。「ベートーヴェン」のあとのところです。少しは、憤りが収まるかもしれませんよ。

<結社では、所属する人達の毎月の歌を読みます。
<ですから、歌を通して個々の歌人の日常を知ることになります。
<単に歌の良さだけではなく作者の日々に触れることになります。
<決して形式ばった美しい歌ばかりではありません。

この点に関しても、本文には書いていないのですが、当日はおもしろいやりとりがあったんですよ!

花山周子さんが引用された歌なんですが、
斎藤茂吉が、「アララギ」の締切りを破った結社の人たちにあてつけた歌を、その人たちが穴をあけた場所に詠む、という!すっごい人間くさい歌(笑)。美しいか、美しくないかといえば、美しくない方に入る歌。
逆に、穂村さんは「予測される共感性をあらかじめ狙っている」ような歌には歌壇は厳しい、っておっしゃっていました。

いろいろな立場からの話をお聴きした今回の講座ですが、結局はそれが身になるかならないかは、自分の歌で証明するしかない、とは思ってます。

また、忘れた頃に更新します(笑)ので、また来て下さいね。

投稿: 岡本雅哉 | 2010年10月29日 (金) 11時05分

怒ってるわけじゃあないんでしゅ^^

ただ、一点だけ思うのは自分が足を踏み入れたことのない場所について、想像だけ(?)で言うことに疑問を感じるということで。
議題が悪い?^^

人のブログであれこれ自論を言うなってばね<私^^
それぞれの考え方があって当たり前と思うし、それを否定もしないけれど(お商売も良し)
私は私の尊敬する先生(因みに私の属する結社に上下関係はないですから勝手に「先生」と言っているだけなのですが)
「歌は自己と向き合う作業です」という言葉があって、私はそこに共感して今尚結社にお世話になっております。

岡本さん、たまには歌をUpして読ませてくださいなっ^^

投稿: 西野明日香 | 2010年10月29日 (金) 13時40分

こんばんは。
本多響乃さんのレポートもすごかったけれど、岡本さんのもすごいですね☆
当日の臨場感がよみがえってくるようです。
今はネットvs結社とは括れない時代という気がするし、自分もどちらともいえない立場だけれど、こうした議論を目の当たりにするのは興味深いことでした。
緊張感も笑いもある充実した時間でしたね。
講座などでいろんな刺激を受けるのはいいことだなぁと思いました。
またいつかどこかで御一緒する機会があれば少しお話できたらいいなと思います(^_^)

投稿: 紗都子 | 2010年10月29日 (金) 23時25分

西野さん、こんにちは!

まあ、あの場面に演者として出演すること自体に、相手方をおもんばかって何らかの発言をする役割を負うという面があるので、僕としては真摯なやりとりと思えたので、よしとしています。

西野さんが歌を読む上で、すばらしい先生に出会えたのはうれしいです。結社の人間関係の密なところのいい面ですよねー。ネットでも人間関係ありますけど(笑)。


紗都子さん、こんにちは!

そうでした、紗都子さんも当日は会場におられたのでした。そうなんですよね、どちらかの立場に立てと言われても、どちらにも……って感じですよね。
ただ、短歌をやっている姿勢はそれぞれ違うけど、ことばの中に情熱が伝わってきて、なんともいえない充実感がありましたね!

いつかまた、お会い出来る日を楽しみにしています。

投稿: 岡本雅哉 | 2010年10月30日 (土) 15時58分

雅哉さん、こんばんは。つた子です。
先日はお目にかかれて嬉しかった!
さても、思うとこあってブログ書きました。
……トラバうまくいかんわ。。。(超絶機械音痴)
でも雅哉さんは好青年です!(なんでだか断言)

投稿: 沼尻つた子 | 2010年10月31日 (日) 23時00分

このハードな議論の流れのなかで

僕の短歌を引用していただいてるなんて……(汗)

恐縮です!

あざーっす!

投稿: 宇津つよし | 2010年10月31日 (日) 23時49分

沼尻さん、おはようございます!

トラックバック、来ていましたよー!

好青年かはわかりませんが、
僕なりに、真摯に対応したいと思っております。
(めざすは紳士☆)


宇津さん、おはようございます!

すいません、勝手に使わせていただいて。
ハードな議論というか、試行錯誤に近いです!

またよろしくお願いします。

投稿: 岡本雅哉 | 2010年11月 1日 (月) 09時43分

今晩は、お久しぶりです。レポート読ませていただきました、勉強に成りました。いつもお元気で色々ご活躍のご様子羨ましい限りです。
長くお休みだった「hiro-t」さんが又ブログ再開されて、ぷち短に投稿されておられますよ!

投稿: おはぎ | 2010年11月 3日 (水) 18時19分

おはぎさん、こんにちは!

すいませんねぇ……まだ考える過程を書いたようなものなんですが、ご覧になっていただいてうれしいです。書いたかいがありました。もっと詠む方でがんばらないといかんのですが……(苦笑)。

hiro-t.くん!復活ですかー。
おはぎさんは夜ぷち、皆勤賞ですもんねー、いつまでも元気に詠みつづけてくださいね!
それではブログを賑やかしに行ってきますか。

投稿: 岡本雅哉 | 2010年11月 5日 (金) 11時24分

このページにリンクさせて頂きました。

http://blog.livedoor.jp/beresit/archives/51905728.html

投稿: 結社ひとり | 2010年11月 8日 (月) 18時06分

結社ひとりさん、こんにちは!

ご報告、ありがとうございます。
いろいろな考え方があるものですね。

投稿: 岡本雅哉 | 2010年11月 9日 (火) 15時35分

これ行きたかったなあ。
感想すばらしかったです!

投稿: 長瀬大 | 2010年12月 1日 (水) 06時58分

なんだよー長瀬ー!

いきなり復活しやがってよー!

お前もくればよかったのによー、どこ行ってたんだよー!

それに柄にもなく褒めるんじゃねーよー、照れるじゃねーかよー!やーめーろーよー!

……笑いすぎて目から水出てきたじゃねーかよ。

投稿: 岡本雅哉 | 2010年12月 1日 (水) 13時35分

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